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TOP >  インタビュー・コラム >  高崎卓馬のCM温故知新 >  vol.128 ユーモアのある大人になりたい。

vol.128 ユーモアのある大人になりたい。


龍角散/龍角散「プロンプター」篇
1978年制作
歌舞伎の舞台袖で役者にセリフをつけている黒子が咳をして「おい、龍角散」と小声で弟子に声を掛けると、役者はそのまま再現してしまう。「ゴホン!といえば龍角散」のコピーで締めくくった。

【主な制作スタッフ】
広告会社:博報堂 制作会社:東映シーエム
企画:後藤政夫/深尾慎二 コピー:大野光昭
プロデューサー:渡邊啓固/川村一雄 PM:谷口承
演出:一ノ瀬勇司朗 撮影:宮坂健二 照明:佐藤文造
美術:間野重雄 編集:高山康夫 音声:本橋治保
SE:八幡泰彦 出演者:佐々木一哲
 この龍角散のCMはワンカットのお手本のような企画だ。舞台袖にいる黒子が台本を手に歌舞伎の『弁天小僧』のセリフをつけている。途中、「名せえ、ゆかりの」という場面でうっかり「ゴホン」と咳き込んでしまう。すぐに「おい、龍角散」とお弟子さんに頼むと役者がそれをそのまま言ってしまう。鮮やかなアイデアに見るひとみんながニンマリして、そのニンマリが「ゴホン!といえば龍角散」というフレーズに集約される。こういうのを考えるのがCMの醍醐味なんだよなあ、としみじみ思う。アイデアに品と教養があって、これがいわゆるユーモアってやつかもしれない。こういうものに憧れていたはずなのに、いつのまにかずいぶん遠い場所でアイデアを探すことに慣れてしまった。刺激の強いやりとりや、感情に訴える設定、そういうものを追いかけすぎているかもしれない。「ユーモア」のあるものをずいぶん作っていない。
 調べると、ユーモアとは相手を和ませる上品な笑いとある。人を傷つけないものだ。おかしみとか洒落とか、そういうものだ。たった15秒にそんなものはいらないと時代は言う。でもそうだろうか。それは僕たち作り手の姿勢の問題かもしれない。作り手自身が、相手を和ませる人間ならば、そこで作るものにユーモアは宿る、そんな気もする。自分が、俺が、この仕事が、という気持ちを置いておいて、見るひとの笑顔のためにという姿勢を徹底できたら、そこに生まれるのはユーモアなのかもしれない。何かを獲得しようとするのではなく、何かを与えようとすることが、(与えるっていうのも不遜かもしれないけれど)ユーモアが芽をだす土壌になるのかもしれない。
 弁天小僧を使う時点で、作り手の教養がにじむ。タイトルだって黒子じゃなくてプロンプターだもん。教養とかユーモアとかそういうものをCMはいつから遠ざけるようになったのだろう。そういえば教養って英語でいうと、リベラルアーツだ。自由になるための武器。僕たちはそれを面倒くさいものとして遠ざけて、自由になるための武器をどこかに置き忘れてしまったのかもしれない。そろそろ取りに帰ろう。
 それから「ゴホン!といえば龍角散」。このコピーもすさまじい仕事をしている。これがいったいどのくらい龍角散を売り上げたのだろう。計り知れない。ユーモアだけじゃなくて、仕事としても超一流のこのCMを見て、猛烈に反省をしています。がんばらねば。
「高崎卓馬のCM温故知新」 CM INDEX 2024年4月号掲載